ひつじのまちの小さな茶楼
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2005-03-28

この国において、日本に対する感情とはとても特別なものです。今、日本が国連の常任理事国入りを目指している事で、日本に対する反発はより強いものになってきているようです。日本でも報道がなされていますが、常任理事国入り反対の署名が集められていて、目標とされていた100万人も既に突破したとか。お隣り韓国でも竹島を焦点に、反日感情が増して来ているという報道があり、第二次世界大戦終戦から60年を迎える今年も、こういった話題が絶える事はありません。

この問題でとても残念なのは、互いが互いを理解する気持ちが足りない、という事では無いでしょうか。双方の報道を見る限りでは、この国ではある意味日本を国民団結の材料としている部分が少なからず見えますし、日本は日本で冷めてしまっているのを強く感じます。マスコミの影響とはとても強いものです。一党独裁のこの国では情報統制もあり、党と大きく異なる意見が報道される事は皆無に等しいです。日本では各報道機関がそれぞれ違った意見を発表する事が可能ですが、それが大して活かされていないようでもあります。マスコミには社会を監督する、という役目と義務があると思います。その点においては、中国も、日本も、マスコミが果たすべき役割というのはあまり果たされていないのではないでしょうか。

日本は同時に、もっと相手に自分の考え方を知ってもらう必要があります。よく言われる事ですが、日本人ははっきり口に出して言わなくとも分かってもらえる、と思いがちです。確かに日本人同士ではそれが比較的かないます。しかし相手が外国人ともなれば、状況はまるで違ってくる事は、現状を見ても明らかなはずです。しかし日本政府は今尚「分かってもらおう」という態度を崩す事ができずにいます。アジア諸国において誰もが納得がいかない靖国問題。なぜ戦犯が祭祀されるのか、被侵略国の国民からしたらまるで理解できない事のようです。同時に、「戦犯も自らの命を以って罪を償ったのだから」というのが日本人独特の考え方でもあると思います。しかしそんな日本人の考え方を知っているアジア人は一体どれだけ居るのでしょうか?そんなに居ません。なぜかと言えば、それは日本がそういう事を理解してもらおうとする努力を怠って来た以外の何者でもありません。

終戦から60年を迎えても、いまだに双方間でくすぶり続けるこの問題、相手の不理解ばかりを責めていても何も始まりません。双方が相手をより理解しようとする気持ちをなくしてはいけないと思います。日本は侵略国として、相手国の対日感情ばかりに目をとられるのではなく、この状況の中でも心のゆとりをもって、相手を理解する態度を保つ事が必要だと思います。いつも周りの人に気を配り、思いやる気持ち、日本人の最もステキな部分ではないでしょうか。この気持ちをこの問題の上においても保ち続けていける事を心から望みます。

2005-03-27

今日は、来週から通い始める学校に申し込みに行って来ました。
私をよく知る人であれば恐らく誰もが信じられないような顔をするであろうフランス語。私自身もついこの前まではフランス語の勉強を始めるなどとは思いもしなかったぐらいですから。普段この町で聞くのは、その言葉を理解しない人からすればケンカしているようにしか聞こえない言葉達。そしてそれを使って毎日生活しているこの私。外国人という事が理由で何かと騙されたり、相手にとって都合がいいように対応されたり、という事から身を守るために、よりケンカ口調で話す事に慣れてしまった事もあり、フランス語の音がちゃんと身に付くのかどうかは不安なところです・・・。

この国に身を置いて来月で10周年を迎えます。それだけ長い時間を過ごしていれば、日本に居ても、外国に居ても、結局変わるのは環境だけで、外国に居るから自分も変わる、なんて事は無い事はよく分かります。今この町で仕事をしていても、外国の町に居るからより刺激的だとか、そんな事は実際無いものです。あるのは外国の町で長い事住む事により生まれるその町への親しみ、そしてその親しみから生まれ出る愛しみです。自分で何かを始めない限り、家と会社の往復を毎日繰り返すだけ、という生活は外国に居てもまるで同じ事。先月パリまで留学仲間に会いに行き、約1週間の時間をパリで過ごした事で、ひとつのきっかけができました。「帰ったらフランス語の勉強でも始めようかな」なんて口走ってしまったが最後、彼等が逆にすっかりその気になってしまい、後に引けなくなってしまったんです。今では、そんな勉強の始め方もいいかな、と思い、こうして勉強をスタートさせる事にしました。

授業は明後日の火曜日からスタート。楽しみなところです。

2005-03-26

ひつじの町には、一足早くぽかぽか陽気の春が訪れました。日中は20度を超え、分厚い雲の上からでも太陽がこちらを向いて笑っているのが分かるようです。この町の春はとても短く、暖かいなぁなんて思っていると、あっという間に蒸し暑い、長い長い夏が訪れます。

1年を通して緑が絶える事の無いこの町においても、春に目にする緑はよりあざやかで、「いのちのちから」と「やさしさ」を感じずにはいられません。春の光を存分に湛え、その木漏れ日を浴びながら道行く人々にもちからを分け与えてくれます。とても暖かく、温かい。いい季節です。